「織り込み」という幻想

株式相場ではよく「織り込む」という言葉が使われます。しかし私にはこの言葉がどうにもしっくりきません。「織り込み」という言葉は「わかった気持ちになりたい」という気持ちが生み出した幻想のようなものだと感じています。

株価は正しいという前提への疑義
まず、織り込むという言葉には「今の株価は評価を織り込んだので正しい」という前提がありますがこれは本当なのでしょうか。
  • 1月からの株価の荒れ。毎日いったい何を織り込んでいたのだろうか。
  • 決算発表後のいわゆる決算バクチ。計画通りでも大幅上昇/下落がある。大抵市場のムードで決まる。
  • 信用収縮によるクラッシュ。企業価値ではなく単なるキャッシュフローの話。
株価は売買する人の様々な事情を背負って決定されるわけですが、企業価値の評価以外に、買値をベースにした売買、トレンドを追う売買、ファンド購入による自動的な購入、キャッシュフローの事情、バクチ感覚で楽しんでいるだけの売買など、企業価値とは無縁の事情が株価に多大な影響を与えています。私は株価は「常に間違いながら、企業価値を軸にさまよう」ものだと思っています。
わかった気になりたい
一方で、この言葉を使ってみるとなんとも言えないスッキリ感があります。人間にとって理由が分からないことは「不安」を生む要因であり本能的にイヤなのです。
証券ニュースを見ていると「織り込んでいた」という言葉を毎日のように使われますが、株価が動かなかった時「理由はわかりません」では視聴者に不安を与え、解説者は無能だと反発を受けますので「織り込んでいました」と説明するのです。

役に立たない
そしてこの言葉は使い勝手が良い割に役に立たない言葉です。
なぜなら株価が何かを織り込むのは事実かもしれませんが、何をどれぐらい織り込むのかがわからないからです。例えば、悪い決算でも株価が動かなかった時には「今回の決算を織り込んでいたのだ」と言えば自分を納得させられますが、結局本当に織り込んだのかは誰にもわかりません。明日大幅に下落するかもしれません。

「織り込む」という言葉には、現実を逃避させ自分の考えを正当化させる力があるため私は極力使わないようにしています。株式投資をする上では「分からないものを分からない」と飲み込む勇気が必要だと考えています。

『「織り込み」という幻想』へのコメント

  1. 名前:ボン 投稿日:2016/03/10(木) 21:46:02 ID:156d4f8ba 返信

    こんばんは。
    全く同感です!
    織り込み済みという言葉には今まで漠然と違和感がありましたが、ストンと腑に落ちました。
    便利なのは分かりますが使われすぎですよね(^_^;)